​​​​​​​​​​​​​​​​​​​福島ダイアログセミナー 2011-2015年​暮らしを取り戻すための知識と道標を求める

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暮らしを取り戻すための知識と道標を求める

誰にとっても、放射能汚染による被曝は心配の種であったが、多くの人たちは、親戚や隣人とさえ、それについて敢えて語ろうとしなかった。放射能への知識もまったくなく、対処の方法も知らない人たちが、いったい何を語ることができたというのだろう?​

暮らしを取り戻すための知識と道標を求める

暮らしを取り戻すための知識と道標を求める

誰にとっても、放射能汚染による被曝は心配の種であったが、多くの人たちは、親戚や隣人とさえ、それについて敢えて語ろうとしなかった。放射能への知識もまったくなく、対処の方法も知らない人たちが、いったい何を語ることができたというのだろう?​

ゼヒ暮らしを取り戻すことを求める

​​​多くの人たちが、外からの援助があることに空しい期待をつなぎながら、屋内に止まらざるをえない状況であった。

しかし、時が経つに連れ、幾人かの、意思を持つ人々が知識と道標を求めて、立ち上がった。彼らは、それが自分たちの日常の暮らしを取り戻し、やがて通常の生活へもどるための唯一の方法だと気づいたからだ。

道を切りひらく放射線防護へのアプローチ

安東量子は、避難区域に隣接するいわき市に住む、34歳(事故当時)のなごやかな女性である。彼女もまた、状況に正面から向き合うために、すぐに立ち上がったひとりである。自分の住む場所にとどまることが、どれだけリスクがあるものなのかまったくわからないなか、彼女は放射線の状況を知ろうと、ツイッターをはじめ、ウェブ上の情報を探し始めた。また、安東は、ソーシャルネットワークを通じて、福島の状況を心配し、彼女の試みを助けようと思っていた、福島県内、あるいは、日本各地の人たちと交流を持った。

安東は、ウェブで情報を収集している時に、たまたま、国際放射線防護委員会の出版物、「ICRP勧告111」を見つけた。そして、このことはやがて、ICRP111の元となった、「チェルノブイリ事故後のノルウェーとベラルーシの経験」へと彼女を導くことになった。彼女は、大量の放射性物質フォールアウトをともなう過酷な核事故の災禍に直面せざるをえなかったチェルノブイリ事故の人々の経験から、なにか学べることがあるのではないか、そう思ったのだった。

読んですぐに、安東は、この、これまでとは大きく異なるアプローチ方法は、福島の人たちにとっても大きな意味をもつと感じ、より多くの人に知ってもらいたいと思った。とりわけ、ICRP111勧告が強調するのは、毎日の生活のあらゆる面から放射線のリスクを考えるための測定の重要性であり、そして、その測定結果について、ともに状況を改善したいと思う住民同士で話し合うことだった。これは、ひとりひとりの生活を取り戻すため、そして、最終的に日常へ戻るための、放射線防護上の独立行動への鍵となるステップである。

安東量子、 福島のエートス (NPO) 、末続

「原発事故以降、福島を巡って巻き起こる声は、そこに住む住民にすれば、すべて、住民を置き去りにしたもののように感じられました。誰もが、当事者をないがしろにして、何かを語りたがっている状況に、私は、強い違和感を感じました。おそらく、怒りといっていいのだと思います。私が福島のエートスを始めた理由は、自分たちのことは、自分たち自身で語るしかないのだという思いが根底にあります。ICRP111だけが、私たちに寄り添ってくれたものであるように感じられました。」

 

ICRP111, (原子力事故または放射線緊急事態後の 長期汚染地域に居住する人々の防護 に対する委員会勧告の適用)は、そのような汚染地域に住む人々に対してガイダンスを提供するものだ。ICRP111の焦点は放射線防護であるが当勧告は、環境、健康、社会経済、心理、文化、倫理および政治的な側面を含んで、日常生活のあらゆる面を考慮せずには事故後の複雑な状況を解決できないことを認識している。

長期の汚染を被った人々と地域の専門家が状況の管理に直接関わることの意義、国と地方行政は人々の関与と自動を促す環境を作り、手段を提供する責任があることを強調している。放射線モニタリング、健康管理、汚染食品及びその他の商品の管理に対しても同様の点が強調されている。

 ​

ベラルーシのETHOSから福島のETHOSへ

「ETHOS」は、欧州委員会(EC)が1990年代後半、チェルノブイリ事故後の流れで、ベラルーシの汚染地域の復興のために始めた試験的な取り組みである。そこでは、新しい、あらゆる面からのアプローチが試みられた。

なかでも、安東さんの目を引いたのは、エートスの取り組みが、地域の住民の積極的な関わりを重視することだった。これは、汚染によって、影響を受け、脅かされてしまった、毎日の暮らしのさまざまな状況の中で、住民が、ふたたびよりよい生活を回復するための条件を整えるプロセスであった。福島中に広がってしまった混乱のなかで、彼女は、県内のコミュニティにこの取り組みは使えると思ったのだった。

安東は共同作業をはじめた。まず、「福島のエートス:ETHOS IN FUKUSHIMA 」 というブログを立ち上げた。このブログは、被災地の状況をより理解しようと情報を求める人たちにとって、重要な拠り所になった。時間とともに、このブログは、地域での取り組みや、「福島のエートス」も第2回から参加した福島ダイアログセミナーの情報や資料を収録し、内容を充実させていった。そこにはまた、ベラルーシやノルウェーを訪問し、ダイアログセミナーで知り合った地域の農家やトナカイ生産者たちと経験を共有したことも報告されている。今では、このブログは、様々な文章や動画も収録し、原発事故以後の福島の生活状況に関する、他にないデータベースとなっている。

安東はホームページでこのブログの精神をこう要約する。「原子力災害後の福島で暮らすということ。それでも、ここでの暮らしは素晴らしく、よりよい未来を手渡すことができるということ。自分たち自身で、測り、知り、考え、私とあなたの共通の言葉を探すことを、いわきで小さく小さく続けています。」

詳しくはこちら: チェルノブイリ事故の教訓、およびノルウェーとベラルーシの経験のフィードバック​​​​

ウェブ:強い意思を持つ人たちをつなぐ、これまでにないツール

福島県の住民と日本の核物理学、それから放射線防護の専門家が、非常に早い時期につながることができたのは、新しいコミュニケーション・テクノロジーのおかげである。ツイッターのようなソーシャルメディアが、物理的に遠く隔っている個々の人であっても、共感し、つながることを可能としたのである。

早野龍五は、反物質の研究を専門とする世界的に有名な物理学者である。彼は、東京大学教授と、スイスのジュネーブ近くにあるヨーロッパ原子核研究機構(CERN)の研究と、二つの仕事を股にかけている。早野教授は、電離放射線による被曝を恐れる福島の住民を、とても気にかけ、ツイッターを使い、福島県内の放射線状況に関する情報を総合的に発信している。彼のフォロワー数は数日間で2500人から15万人へと跳ね上がり、現在もおよそ13万人のフォロワーを維持している。

その中に、福島県内のホールボディカウンター(WBC)の運用に携わっていた福島県立医科大学の放射線科の宮崎真医師もいた。 同時に、子供達の健康について心配する母親たちとの交流を通して、早野教授は、科学的な測定の観点から考えると、その必要性は薄い、乳幼児向けのホールボディカウンターが存在しないことが、不安の原因であることに気づいた。そこで、早野が開発することを決めたのが、乳幼児専用のホールボディカウンターだった。第5回ダイアログセミナーから参加するようになった早野は、放射線と放射線防護に関する測定と知識の習得についての、福島高校の生徒たちとの共同プロジェクトを積極的に進めた。

インターネットは、また、海外と日本の個々の人を結ぶ有力なツールである。ウェブを利用し、福島事故の後の生活状況の改善に積極的に貢献したいという、ひとつの共通する目的のもとに集まった新たなバーチャルコミュニティ​のメンバーの間で、日々の交流は急速に活発になっていった。

福島の汚染エリア及び避難地域にある水域 © Jean-Marc Bonzom / IRSN​

ゼヒ暮らしを取り戻すことを求める

ゼヒ暮らしを取り戻すことを求める

福島の汚染エリア及び避難地域にある水域 © Jean-Marc Bonzom / IRSN​

​​​多くの人たちが、外からの援助があることに空しい期待をつなぎながら、屋内に止まらざるをえない状況であった。

しかし、時が経つに連れ、幾人かの、意思を持つ人々が知識と道標を求めて、立ち上がった。彼らは、それが自分たちの日常の暮らしを取り戻し、やがて通常の生活へもどるための唯一の方法だと気づいたからだ。

道を切りひらく放射線防護へのアプローチ

安東量子は、避難区域に隣接するいわき市に住む、34歳(事故当時)のなごやかな女性である。彼女もまた、状況に正面から向き合うために、すぐに立ち上がったひとりである。自分の住む場所にとどまることが、どれだけリスクがあるものなのかまったくわからないなか、彼女は放射線の状況を知ろうと、ツイッターをはじめ、ウェブ上の情報を探し始めた。また、安東は、ソーシャルネットワークを通じて、福島の状況を心配し、彼女の試みを助けようと思っていた、福島県内、あるいは、日本各地の人たちと交流を持った。

安東は、ウェブで情報を収集している時に、たまたま、国際放射線防護委員会の出版物、「ICRP勧告111」を見つけた。そして、このことはやがて、ICRP111の元となった、「チェルノブイリ事故後のノルウェーとベラルーシの経験」へと彼女を導くことになった。彼女は、大量の放射性物質フォールアウトをともなう過酷な核事故の災禍に直面せざるをえなかったチェルノブイリ事故の人々の経験から、なにか学べることがあるのではないか、そう思ったのだった。

読んですぐに、安東は、この、これまでとは大きく異なるアプローチ方法は、福島の人たちにとっても大きな意味をもつと感じ、より多くの人に知ってもらいたいと思った。とりわけ、ICRP111勧告が強調するのは、毎日の生活のあらゆる面から放射線のリスクを考えるための測定の重要性であり、そして、その測定結果について、ともに状況を改善したいと思う住民同士で話し合うことだった。これは、ひとりひとりの生活を取り戻すため、そして、最終的に日常へ戻るための、放射線防護上の独立行動への鍵となるステップである。

安東量子、 福島のエートス (NPO) 、末続

「原発事故以降、福島を巡って巻き起こる声は、そこに住む住民にすれば、すべて、住民を置き去りにしたもののように感じられました。誰もが、当事者をないがしろにして、何かを語りたがっている状況に、私は、強い違和感を感じました。おそらく、怒りといっていいのだと思います。私が福島のエートスを始めた理由は、自分たちのことは、自分たち自身で語るしかないのだという思いが根底にあります。ICRP111だけが、私たちに寄り添ってくれたものであるように感じられました。」

 

ICRP111, (原子力事故または放射線緊急事態後の 長期汚染地域に居住する人々の防護 に対する委員会勧告の適用)は、そのような汚染地域に住む人々に対してガイダンスを提供するものだ。ICRP111の焦点は放射線防護であるが当勧告は、環境、健康、社会経済、心理、文化、倫理および政治的な側面を含んで、日常生活のあらゆる面を考慮せずには事故後の複雑な状況を解決できないことを認識している。

長期の汚染を被った人々と地域の専門家が状況の管理に直接関わることの意義、国と地方行政は人々の関与と自動を促す環境を作り、手段を提供する責任があることを強調している。放射線モニタリング、健康管理、汚染食品及びその他の商品の管理に対しても同様の点が強調されている。

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ベラルーシのETHOSから福島のETHOSへ

「ETHOS」は、欧州委員会(EC)が1990年代後半、チェルノブイリ事故後の流れで、ベラルーシの汚染地域の復興のために始めた試験的な取り組みである。そこでは、新しい、あらゆる面からのアプローチが試みられた。

なかでも、安東さんの目を引いたのは、エートスの取り組みが、地域の住民の積極的な関わりを重視することだった。これは、汚染によって、影響を受け、脅かされてしまった、毎日の暮らしのさまざまな状況の中で、住民が、ふたたびよりよい生活を回復するための条件を整えるプロセスであった。福島中に広がってしまった混乱のなかで、彼女は、県内のコミュニティにこの取り組みは使えると思ったのだった。

安東は共同作業をはじめた。まず、「福島のエートス:ETHOS IN FUKUSHIMA 」 というブログを立ち上げた。このブログは、被災地の状況をより理解しようと情報を求める人たちにとって、重要な拠り所になった。時間とともに、このブログは、地域での取り組みや、「福島のエートス」も第2回から参加した福島ダイアログセミナーの情報や資料を収録し、内容を充実させていった。そこにはまた、ベラルーシやノルウェーを訪問し、ダイアログセミナーで知り合った地域の農家やトナカイ生産者たちと経験を共有したことも報告されている。今では、このブログは、様々な文章や動画も収録し、原発事故以後の福島の生活状況に関する、他にないデータベースとなっている。

安東はホームページでこのブログの精神をこう要約する。「原子力災害後の福島で暮らすということ。それでも、ここでの暮らしは素晴らしく、よりよい未来を手渡すことができるということ。自分たち自身で、測り、知り、考え、私とあなたの共通の言葉を探すことを、いわきで小さく小さく続けています。」

詳しくはこちら: チェルノブイリ事故の教訓、およびノルウェーとベラルーシの経験のフィードバック​​​​

ウェブ:強い意思を持つ人たちをつなぐ、これまでにないツール

福島県の住民と日本の核物理学、それから放射線防護の専門家が、非常に早い時期につながることができたのは、新しいコミュニケーション・テクノロジーのおかげである。ツイッターのようなソーシャルメディアが、物理的に遠く隔っている個々の人であっても、共感し、つながることを可能としたのである。

早野龍五は、反物質の研究を専門とする世界的に有名な物理学者である。彼は、東京大学教授と、スイスのジュネーブ近くにあるヨーロッパ原子核研究機構(CERN)の研究と、二つの仕事を股にかけている。早野教授は、電離放射線による被曝を恐れる福島の住民を、とても気にかけ、ツイッターを使い、福島県内の放射線状況に関する情報を総合的に発信している。彼のフォロワー数は数日間で2500人から15万人へと跳ね上がり、現在もおよそ13万人のフォロワーを維持している。

その中に、福島県内のホールボディカウンター(WBC)の運用に携わっていた福島県立医科大学の放射線科の宮崎真医師もいた。 同時に、子供達の健康について心配する母親たちとの交流を通して、早野教授は、科学的な測定の観点から考えると、その必要性は薄い、乳幼児向けのホールボディカウンターが存在しないことが、不安の原因であることに気づいた。そこで、早野が開発することを決めたのが、乳幼児専用のホールボディカウンターだった。第5回ダイアログセミナーから参加するようになった早野は、放射線と放射線防護に関する測定と知識の習得についての、福島高校の生徒たちとの共同プロジェクトを積極的に進めた。

インターネットは、また、海外と日本の個々の人を結ぶ有力なツールである。ウェブを利用し、福島事故の後の生活状況の改善に積極的に貢献したいという、ひとつの共通する目的のもとに集まった新たなバーチャルコミュニティ​のメンバーの間で、日々の交流は急速に活発になっていった。

すれ違いの対話から... 前向きのダイアログへ

​​福島第一原子事故のその後は、災害によって同時に引き起こされた、課題の複雑さに圧倒された政府機関の非力さを明らかにした。.​

非の打ち所がない、完璧な商品やサービスに慣れている日本人にとって、緊急事態への対応能力が欠けていたことは、相互理解を強く妨げる原因となった。行政、そして、対応にあたる専門家に対する猜疑心と不信は、日増しに強まりながら広まった。市民に対する支援と助言を期待されながらもできなかった行政や専門家に対する市民の憤りは、非常に激しいものとなった。放射能から身を守らなくてはならない、一夜にしてまったく変わってしまった生活状況に対応するための、事前の備えはなかった。

このような社会状況の中で、市民と専門家、そして行政との間で話し合いをすることなど、まったく無理な話であった。誰一人として、聞く耳を持つはずもなかった。

放射線防護の専門家である多田順一郎は、ボランティアとして彼の時間と経験を提供しようと決めた。

多田は、ステークホルダーの間での亀裂と緊張が高まっていることを、非常に憂えていた。口には出さない深い苦しみ、疑い、誤解、猜疑心、絶望、そして、強い怒りが、人間関係に悪影響を与え、支援したいと望む人間たちの行動にまで制約を及ぼした。

2011年の秋、多田は、自分の懸念を、国際放射線防護委員会(ICRP)の日本人委員である丹羽太貫と、副委員長であるジャック・ロシャールに話した。ロシャールは、彼が積極的に推し進めたエートスプロジェクトの中で、ベラルーシのステークホルダーとの対話を行った経験を持ち、ここでも、現場主義的な取り組みを強く勧めた。​

ひとつのテーブルにすべての関係者が座り、それまで語られなかったことが語られるようになるまで互いに耳を傾け、そして、緊張をやわらげ、相互理解を深めるというやりかたである。

多田順一郎、NPO法人 放射線安全フォーラム理事

「県民が受けたとみられる放射線量で健康に影響が出るとは私は考えていない。むしろ過度に放射線の害を心配することのほうが健康に影響すると考えている。故郷に帰れない境遇でうつ病になる人がでたり、母親が放射線の影響を心配し、子供に非常に厳しいしつけをすることでメンタル面に影響する場合がある。精神的影響は甚大だと思う。」

丹羽太貫、福島県立医科大学特命教授、放射線影響研究所

「チェルノブイリ事故から25年後にベラルーシに行きました。南部の立ち入り禁止区域の小さな町、ブラギンというところですが、そこへ入って見ていたら、小中高の若い人々が多くいて、最近はようやく家を建てるための地価が上がり始め、若者の流入があると聞きました。私はそれを聞いて安心しました。25年たったら福島もまあOKであると、そういう状況で何とかなる可能性があるだろうと思いました。」

ジャック・ロシャール、副委員長、国際放射線防護委員会(ICRP)

「1990年7月、チェルノブイリから30㎞ゾーン近くにある小さな村を訪れました。半分見捨てられたようなこの村の村長は、事故の時に思いを残していると話してくれました。当時、あれは自分が村長だったのには意味があり、人々が村を離れ、避難する手助けなどをしたと話しました。しかし、4年後、彼は役立たずと感じていました。子供はおらず、保育園は空で、農業もありません、老人を除いては。突然、私は災害の人的な被害の大きさに呆然としました。その時までは、それを単なる原子力の安全性の問題として考えていました。」​

すれ違いの対話から... 前向きのダイアログへ

すれ違いの対話から... 前向きのダイアログへ

​​福島第一原子事故のその後は、災害によって同時に引き起こされた、課題の複雑さに圧倒された政府機関の非力さを明らかにした。.​

非の打ち所がない、完璧な商品やサービスに慣れている日本人にとって、緊急事態への対応能力が欠けていたことは、相互理解を強く妨げる原因となった。行政、そして、対応にあたる専門家に対する猜疑心と不信は、日増しに強まりながら広まった。市民に対する支援と助言を期待されながらもできなかった行政や専門家に対する市民の憤りは、非常に激しいものとなった。放射能から身を守らなくてはならない、一夜にしてまったく変わってしまった生活状況に対応するための、事前の備えはなかった。

このような社会状況の中で、市民と専門家、そして行政との間で話し合いをすることなど、まったく無理な話であった。誰一人として、聞く耳を持つはずもなかった。

放射線防護の専門家である多田順一郎は、ボランティアとして彼の時間と経験を提供しようと決めた。

多田は、ステークホルダーの間での亀裂と緊張が高まっていることを、非常に憂えていた。口には出さない深い苦しみ、疑い、誤解、猜疑心、絶望、そして、強い怒りが、人間関係に悪影響を与え、支援したいと望む人間たちの行動にまで制約を及ぼした。

2011年の秋、多田は、自分の懸念を、国際放射線防護委員会(ICRP)の日本人委員である丹羽太貫と、副委員長であるジャック・ロシャールに話した。ロシャールは、彼が積極的に推し進めたエートスプロジェクトの中で、ベラルーシのステークホルダーとの対話を行った経験を持ち、ここでも、現場主義的な取り組みを強く勧めた。​

ひとつのテーブルにすべての関係者が座り、それまで語られなかったことが語られるようになるまで互いに耳を傾け、そして、緊張をやわらげ、相互理解を深めるというやりかたである。

多田順一郎、NPO法人 放射線安全フォーラム理事

「県民が受けたとみられる放射線量で健康に影響が出るとは私は考えていない。むしろ過度に放射線の害を心配することのほうが健康に影響すると考えている。故郷に帰れない境遇でうつ病になる人がでたり、母親が放射線の影響を心配し、子供に非常に厳しいしつけをすることでメンタル面に影響する場合がある。精神的影響は甚大だと思う。」

丹羽太貫、福島県立医科大学特命教授、放射線影響研究所

「チェルノブイリ事故から25年後にベラルーシに行きました。南部の立ち入り禁止区域の小さな町、ブラギンというところですが、そこへ入って見ていたら、小中高の若い人々が多くいて、最近はようやく家を建てるための地価が上がり始め、若者の流入があると聞きました。私はそれを聞いて安心しました。25年たったら福島もまあOKであると、そういう状況で何とかなる可能性があるだろうと思いました。」

ジャック・ロシャール、副委員長、国際放射線防護委員会(ICRP)

「1990年7月、チェルノブイリから30㎞ゾーン近くにある小さな村を訪れました。半分見捨てられたようなこの村の村長は、事故の時に思いを残していると話してくれました。当時、あれは自分が村長だったのには意味があり、人々が村を離れ、避難する手助けなどをしたと話しました。しかし、4年後、彼は役立たずと感じていました。子供はおらず、保育園は空で、農業もありません、老人を除いては。突然、私は災害の人的な被害の大きさに呆然としました。その時までは、それを単なる原子力の安全性の問題として考えていました。」​

雪解け

それから数週間後、「チェルノブイリの教訓と ICRP 勧告」というテーマで、「第1回ダイアログセミナー 福島事故後の生活環境の回復」が開かれた。

そのテーマ:「チェルノブイリの教訓とICRPの提言」このセミナーはICRP の支援と、経済協力開発機構原子力機関(OECD-NEA )、フランス原子力安全局(ASN)、フランス放射線防護・原子力安全研究所(IRSN)およびノルウェー放射線防護局(NRPA)の協力により開催されている。4年間にわたり、これらの機関の専門家がこの最初の会合および、これに続く2011年から2015年の11回のセミナーに積極的に参加している。

最初のセッションでは、空気は重く、緊張していた。11月26日、27日両日の開催期間中、会場では、しばしば怒りと涙が噴き出す場面もあった。そのとき、不意に、8ヶ月の間、抑えてきた怒りと強い苛立ちが吐き出されたのだった。

この場は、とりわけ専門家にとっては、自らが試される場であった。なぜなら、彼らが職業として持っている一般的な知識を分け与えることは、もはや期待されてはいなかったからだ。

一回、また一回、少しずつ、そしてしっかりと、専門家たちは傷ついた住民ひとりひとりの声を聞き、自分たちの知識と経験をその懸念に答えられるものとするよう、全力を尽くさなければならなかった。このプロセスは、通常考えられているものとは、まったく逆のものであった。

フランス放射線防護原子力安全研究所(IRSN)の環境部門部長であるジャン=クリストフ・ガリエルは、彼が参加した2013年3月伊達市で開催された第5回ダイアログセミナーについて、「視界が一変したようだった」と後に感想を述べている。

ジャン=クリストフ・ガリエル、フランス放射線防護原子力安全研究所(IRSN)環境保護部門

「純粋な放射線だけの問題ではなく、社会的そして経済的な数多くの問題を、事故後の処理管理に含めなくてはなりません。ダイアログに専門家として参加したことで、このアプローチの重要性に関する認識が高まりました。」

時間が経ち、テーブルにつく参加者が自分への自信を覚えるようになるにつれ、互いに理解しようとする雰囲気になってきた。​参加者は、自分自身の経験を語り、同時に、ほかの参加者の話からも、なにかを得るようになっていった。会場は、もはや、一方には知識をもった専門家がおり、もう一方には一般人がいる、という雰囲気ではなかった。福島の人々の生活状況を回復したい、輝きを失ってしまった、愛する福島のイメージを復活させたい。そういう共通の願いによってつながる、対等な立場の人間の集まりになったのだった。

雪解け

それから数週間後、「チェルノブイリの教訓と ICRP 勧告」というテーマで、「第1回ダイアログセミナー 福島事故後の生活環境の回復」が開かれた。

そのテーマ:「チェルノブイリの教訓とICRPの提言」このセミナーはICRP の支援と、経済協力開発機構原子力機関(OECD-NEA )、フランス原子力安全局(ASN)、フランス放射線防護・原子力安全研究所(IRSN)およびノルウェー放射線防護局(NRPA)の協力により開催されている。4年間にわたり、これらの機関の専門家がこの最初の会合および、これに続く2011年から2015年の11回のセミナーに積極的に参加している。

最初のセッションでは、空気は重く、緊張していた。11月26日、27日両日の開催期間中、会場では、しばしば怒りと涙が噴き出す場面もあった。そのとき、不意に、8ヶ月の間、抑えてきた怒りと強い苛立ちが吐き出されたのだった。

この場は、とりわけ専門家にとっては、自らが試される場であった。なぜなら、彼らが職業として持っている一般的な知識を分け与えることは、もはや期待されてはいなかったからだ。

一回、また一回、少しずつ、そしてしっかりと、専門家たちは傷ついた住民ひとりひとりの声を聞き、自分たちの知識と経験をその懸念に答えられるものとするよう、全力を尽くさなければならなかった。このプロセスは、通常考えられているものとは、まったく逆のものであった。

フランス放射線防護原子力安全研究所(IRSN)の環境部門部長であるジャン=クリストフ・ガリエルは、彼が参加した2013年3月伊達市で開催された第5回ダイアログセミナーについて、「視界が一変したようだった」と後に感想を述べている。

ジャン=クリストフ・ガリエル、フランス放射線防護原子力安全研究所(IRSN)環境保護部門

「純粋な放射線だけの問題ではなく、社会的そして経済的な数多くの問題を、事故後の処理管理に含めなくてはなりません。ダイアログに専門家として参加したことで、このアプローチの重要性に関する認識が高まりました。」

時間が経ち、テーブルにつく参加者が自分への自信を覚えるようになるにつれ、互いに理解しようとする雰囲気になってきた。​参加者は、自分自身の経験を語り、同時に、ほかの参加者の話からも、なにかを得るようになっていった。会場は、もはや、一方には知識をもった専門家がおり、もう一方には一般人がいる、という雰囲気ではなかった。福島の人々の生活状況を回復したい、輝きを失ってしまった、愛する福島のイメージを復活させたい。そういう共通の願いによってつながる、対等な立場の人間の集まりになったのだった。

福島ダイアログセミナー

6原則

1.招聘した参加者

2.国内外のオブザーバ(傍聴者)

3.ファシリテーターとしてICRPメンバー

4.共通言語の使用

5.ダイアログのテクニックを使用する:

第1段階:各ステークホルダーが順に1人5分ずつ発表を行う。これを中断させることは認められない。第2段階:様々な視点からの意見を聞いた後、各ステークホルダーがあらたに3分ずつ発表を行う。目的は、他人の考えを聞くことで、各自が考えを深めたり、自身の立場をより明確にしたりすることである。第3段階:全体での議論を始める前に、主な議論を報告者が概要にまとめる。

6.すべての福島ダイアログセミナーをメディアに公開する。

 

 

12回のダイアログセミナーと12のテーマ​​​

第1ダイアログセミナー - 2011年11月、福島市

チェルノブイリの教訓とICRP勧告

詳細: チェルノブイリ事故の教訓、およびノルウェーとベラルーシの経験のフィードバック

第2ダイアログセミナー - 2012年2月、伊達市

伊達市の状況

​​詳細: 伊達市:率先して行動するリーダーたち

第3ダイアログセミナー - 2012年7月、伊達市​​

食品についての対話

第4ダイアログセミナー - 2012年11月、伊達市

子供と若者の教育についての対話

第5ダイアログセミナー - 2013年2月、伊達市​​​

「帰るのか、とどまるのか」

第6ダイアログセミナー - 2013年7月、福島市​​​

飯館、問題の認識と対応

第7ダイアログセミナー - 2013年11月、いわき市

いわきと浜通りにおける自助努力活動

​​詳細: 末続:運命を自分の手で切り拓く

第8ダイアログセミナー - 2014年5月、南相馬市

南相馬の現状と挑戦

詳細: 南相馬:引き裂かれた街の傷

第9ダイアログセミナー - 2014年8月、伊達市​​​

福島で子供を育む

第10ダイアログセミナー - 2014年12月、伊達市

福島における伝統と文化の価値

第11ダイアログセミナー - 2015年5月、福島市

測定し、生活を取り戻す

第12ダイアログセミナー - 2015年9月、伊達市​​

これまでの歩み、そしてこれから​

福島発電所半径20km禁止区域の周辺に位置する富岡町。© Guillaume Bression/Fabien Recoquillé/Médiathèque IRSN ​

福島発電所半径20km禁止区域の周辺に位置する富岡町。© Guillaume Bression/Fabien Recoquillé/Médiathèque IRSN ​

福島ダイアログセミナー

6原則

1.招聘した参加者

2.国内外のオブザーバ(傍聴者)

3.ファシリテーターとしてICRPメンバー

4.共通言語の使用

5.ダイアログのテクニックを使用する:

第1段階:各ステークホルダーが順に1人5分ずつ発表を行う。これを中断させることは認められない。第2段階:様々な視点からの意見を聞いた後、各ステークホルダーがあらたに3分ずつ発表を行う。目的は、他人の考えを聞くことで、各自が考えを深めたり、自身の立場をより明確にしたりすることである。第3段階:全体での議論を始める前に、主な議論を報告者が概要にまとめる。

6.すべての福島ダイアログセミナーをメディアに公開する。

 

 

12回のダイアログセミナーと12のテーマ​​​

第1ダイアログセミナー - 2011年11月、福島市

チェルノブイリの教訓とICRP勧告

詳細: チェルノブイリ事故の教訓、およびノルウェーとベラルーシの経験のフィードバック

第2ダイアログセミナー - 2012年2月、伊達市

伊達市の状況

​​詳細: 伊達市:率先して行動するリーダーたち

第3ダイアログセミナー - 2012年7月、伊達市​​

食品についての対話

第4ダイアログセミナー - 2012年11月、伊達市

子供と若者の教育についての対話

第5ダイアログセミナー - 2013年2月、伊達市​​​

「帰るのか、とどまるのか」

第6ダイアログセミナー - 2013年7月、福島市​​​

飯館、問題の認識と対応

第7ダイアログセミナー - 2013年11月、いわき市

いわきと浜通りにおける自助努力活動

​​詳細: 末続:運命を自分の手で切り拓く

第8ダイアログセミナー - 2014年5月、南相馬市

南相馬の現状と挑戦

詳細: 南相馬:引き裂かれた街の傷

第9ダイアログセミナー - 2014年8月、伊達市​​​

福島で子供を育む

第10ダイアログセミナー - 2014年12月、伊達市

福島における伝統と文化の価値

第11ダイアログセミナー - 2015年5月、福島市

測定し、生活を取り戻す

第12ダイアログセミナー - 2015年9月、伊達市​​

これまでの歩み、そしてこれから​