多くの人たちが、外からの援助があることに空しい期待をつなぎながら、屋内に止まらざるをえない状況であった。
しかし、時が経つに連れ、幾人かの、意思を持つ人々が知識と道標を求めて、立ち上がった。彼らは、それが自分たちの日常の暮らしを取り戻し、やがて通常の生活へもどるための唯一の方法だと気づいたからだ。
道を切りひらく放射線防護へのアプローチ
安東量子は、避難区域に隣接するいわき市に住む、34歳(事故当時)のなごやかな女性である。彼女もまた、状況に正面から向き合うために、すぐに立ち上がったひとりである。自分の住む場所にとどまることが、どれだけリスクがあるものなのかまったくわからないなか、彼女は放射線の状況を知ろうと、ツイッターをはじめ、ウェブ上の情報を探し始めた。また、安東は、ソーシャルネットワークを通じて、福島の状況を心配し、彼女の試みを助けようと思っていた、福島県内、あるいは、日本各地の人たちと交流を持った。
安東は、ウェブで情報を収集している時に、たまたま、国際放射線防護委員会の出版物、「ICRP勧告111」を見つけた。そして、このことはやがて、ICRP111の元となった、「チェルノブイリ事故後のノルウェーとベラルーシの経験」へと彼女を導くことになった。彼女は、大量の放射性物質フォールアウトをともなう過酷な核事故の災禍に直面せざるをえなかったチェルノブイリ事故の人々の経験から、なにか学べることがあるのではないか、そう思ったのだった。
読んですぐに、安東は、この、これまでとは大きく異なるアプローチ方法は、福島の人たちにとっても大きな意味をもつと感じ、より多くの人に知ってもらいたいと思った。とりわけ、ICRP111勧告が強調するのは、毎日の生活のあらゆる面から放射線のリスクを考えるための測定の重要性であり、そして、その測定結果について、ともに状況を改善したいと思う住民同士で話し合うことだった。これは、ひとりひとりの生活を取り戻すため、そして、最終的に日常へ戻るための、放射線防護上の独立行動への鍵となるステップである。
安東量子、
福島のエートス (NPO) 、末続
「原発事故以降、福島を巡って巻き起こる声は、そこに住む住民にすれば、すべて、住民を置き去りにしたもののように感じられました。誰もが、当事者をないがしろにして、何かを語りたがっている状況に、私は、強い違和感を感じました。おそらく、怒りといっていいのだと思います。私が福島のエートスを始めた理由は、自分たちのことは、自分たち自身で語るしかないのだという思いが根底にあります。ICRP111だけが、私たちに寄り添ってくれたものであるように感じられました。」
ICRP111, (原子力事故または放射線緊急事態後の 長期汚染地域に居住する人々の防護 に対する委員会勧告の適用)は、そのような汚染地域に住む人々に対してガイダンスを提供するものだ。ICRP111の焦点は放射線防護であるが当勧告は、環境、健康、社会経済、心理、文化、倫理および政治的な側面を含んで、日常生活のあらゆる面を考慮せずには事故後の複雑な状況を解決できないことを認識している。
長期の汚染を被った人々と地域の専門家が状況の管理に直接関わることの意義、国と地方行政は人々の関与と自動を促す環境を作り、手段を提供する責任があることを強調している。放射線モニタリング、健康管理、汚染食品及びその他の商品の管理に対しても同様の点が強調されている。
ベラルーシのETHOSから福島のETHOSへ
「ETHOS」は、欧州委員会(EC)が1990年代後半、チェルノブイリ事故後の流れで、ベラルーシの汚染地域の復興のために始めた試験的な取り組みである。そこでは、新しい、あらゆる面からのアプローチが試みられた。
なかでも、安東さんの目を引いたのは、エートスの取り組みが、地域の住民の積極的な関わりを重視することだった。これは、汚染によって、影響を受け、脅かされてしまった、毎日の暮らしのさまざまな状況の中で、住民が、ふたたびよりよい生活を回復するための条件を整えるプロセスであった。福島中に広がってしまった混乱のなかで、彼女は、県内のコミュニティにこの取り組みは使えると思ったのだった。
安東は共同作業をはじめた。まず、「福島のエートス:ETHOS IN FUKUSHIMA 」 というブログを立ち上げた。このブログは、被災地の状況をより理解しようと情報を求める人たちにとって、重要な拠り所になった。時間とともに、このブログは、地域での取り組みや、「福島のエートス」も第2回から参加した福島ダイアログセミナーの情報や資料を収録し、内容を充実させていった。そこにはまた、ベラルーシやノルウェーを訪問し、ダイアログセミナーで知り合った地域の農家やトナカイ生産者たちと経験を共有したことも報告されている。今では、このブログは、様々な文章や動画も収録し、原発事故以後の福島の生活状況に関する、他にないデータベースとなっている。
安東はホームページでこのブログの精神をこう要約する。「原子力災害後の福島で暮らすということ。それでも、ここでの暮らしは素晴らしく、よりよい未来を手渡すことができるということ。自分たち自身で、測り、知り、考え、私とあなたの共通の言葉を探すことを、いわきで小さく小さく続けています。」
詳しくはこちら:
チェルノブイリ事故の教訓、およびノルウェーとベラルーシの経験のフィードバック
ウェブ:強い意思を持つ人たちをつなぐ、これまでにないツール
福島県の住民と日本の核物理学、それから放射線防護の専門家が、非常に早い時期につながることができたのは、新しいコミュニケーション・テクノロジーのおかげである。ツイッターのようなソーシャルメディアが、物理的に遠く隔っている個々の人であっても、共感し、つながることを可能としたのである。
早野龍五は、反物質の研究を専門とする世界的に有名な物理学者である。彼は、東京大学教授と、スイスのジュネーブ近くにあるヨーロッパ原子核研究機構(CERN)の研究と、二つの仕事を股にかけている。早野教授は、電離放射線による被曝を恐れる福島の住民を、とても気にかけ、ツイッターを使い、福島県内の放射線状況に関する情報を総合的に発信している。彼のフォロワー数は数日間で2500人から15万人へと跳ね上がり、現在もおよそ13万人のフォロワーを維持している。
その中に、福島県内のホールボディカウンター(WBC)の運用に携わっていた福島県立医科大学の放射線科の宮崎真医師もいた。 同時に、子供達の健康について心配する母親たちとの交流を通して、早野教授は、科学的な測定の観点から考えると、その必要性は薄い、乳幼児向けのホールボディカウンターが存在しないことが、不安の原因であることに気づいた。そこで、早野が開発することを決めたのが、乳幼児専用のホールボディカウンターだった。第5回ダイアログセミナーから参加するようになった早野は、放射線と放射線防護に関する測定と知識の習得についての、福島高校の生徒たちとの共同プロジェクトを積極的に進めた。
インターネットは、また、海外と日本の個々の人を結ぶ有力なツールである。ウェブを利用し、福島事故の後の生活状況の改善に積極的に貢献したいという、ひとつの共通する目的のもとに集まった新たなバーチャルコミュニティのメンバーの間で、日々の交流は急速に活発になっていった。